今回紹介するのは2020年7月にリリースされた「ガネーシャと死神 夢をかなえるゾウ4」です。水野敬也さんの『夢をかなえるゾウ』シリーズは、めっちゃ為になる格言が随所にちりばめられていて、人生について前向きになれるので私も大好きな本の1つです。
『夢をかなえるゾウ』シリーズは毎回、人生になにかしら満足していない主人公のもとにガネーシャというメダボなおっさんのゾウの神様が現れて、ガネーシャが与える課題(一見、無茶苦茶に思える)をひとつひとつクリアしていくごとに夢に近づいていくという物語です。普段はつまらないダジャレばかりいうガネーシャですが、その与えられる課題というのが物事の本質をつく鋭い課題で、それが現代の読者の人生と重ねって、心を鷲づかみにされます。
本作のテーマは死に対する考え方ということで、医師である私にとっても考えさせられる内容で、とても勉強になったというか、自分の人生や夢に対する考え方が大きく変わりました。
今回は私なりに感銘を受けた点を要約してお伝えしたいと思います。
まず物語の冒頭、もう一人の登場人物である死神が人間が死に際に後悔する10つのことを教えてくれます。
1 本当にやりたいことをやらなかったこと
2 健康を大切にしなかったこと
3 仕事ばかりしていたこと
4 会いたい人に会いに行かなかったこと
5 学ぶべきことを学ばなかったこと
6 人を許さなかったこと
7 人の意見に耳を貸さなかったこと
8 人に感謝の言葉を伝えられなかったこと
9 死の準備をしておかなかったこと
10 生きた証を残さなかったこと
これって、めっちゃ自分に当てはまると思いませんか。今の日本のような先進国では昔と違って、なかなか死ということを実感する機会というのが無いように思いますが、著者も述べていますが「死を直視することが生を輝かせる」ということにつながると。では、そうするためにはどのようなことをしたらいいか、ガネーシャは示してくれます。
メモ
健康に良いことを始める
死語の手続きを調べる
お金の問題がなかったらどんな仕事がしたいか夢想する
大きな夢に向かう小さな一歩を、今日踏み出す
人に会ってわだかまりをとく
「死ぬまでにやりたいことリスト」を作る
経験したことのないサービスを受ける
節約を楽しむ
思い切って仕事を休む
自分の体に感謝する
身近な人に感謝の言葉を伝える
周囲の期待と違う行動をとる
限界を感じたとき、もうひと踏ん張りする
両親の生い立ちを知る
このなかで、私がもっとも大切なだと思ったのは「死ぬまでにやりたいことリスト」を作るという点です。命が有限である限り、人生を後悔しないためにはまずこのリストを作って、どんなことでもいいから一歩を踏み出すように著者は勧めてくれています。自分の人生を生きるという点で、とても核心をついているように思います。自分がうつ病、不安障害を患ってしまったので、特に大事だと気づくのですが、健康に良いことを始めるとか、思い切って仕事を休む、自分の体に感謝するというのは本当に大事だと思います。調子を崩す前は、月に当直が5日、待機が10日、それに加えて外勤など体に一つもいいことをしていませんでした。
一方で、多くの夢(私は人間の欲望と解釈しましたが)は果たされないまま、叶えられない夢となっていて、それが世の中に多くの苦しみを生み出していると著者は指摘します。手にしていない夢に縛られ、囚われることによって「今」を苦しんでいると教えてくれます。夢がかけがえのないものであればあるほど、手放す時には不安や痛みを伴うことになります。ただ、その夢が自分を本質的に幸せにしてくれていないのであれば、手放す方法を学ぶ必要があると著者は述べています。まさしく、その通りだなと思いました。「夢のかなえ方」と「夢の手放し方」の両方を経験することによって、本当の意味での「自分だけの自由な人生」を手にすることができると。(うーん、納得) ガネーシャは丁寧にこの「夢の手放し方」について、教えてくれます。
「かなえてきた夢を思い出す。」
人間は一度手に入れたものを取り上げられると、めちゃめちゃ不幸に感じる。それは、夢を奪われたから苦しんだと。「自分には何かすごいことができる。どんな素晴らしい人間にもなれる。」と理想の自分を追い求め続ける。でも、その過程ですでにたくさんの夢を実現してきたことに目を向けるようにすれば楽になるのではないか。不幸のどん底にいるように感じる理由は、本当は自分は幸せなのを忘れているだけかもしれないとガネーシャはいいます。
「他者の欠点を受け入れる姿勢をもつ」
自分が考える夢は完璧な状態を指す言葉で、あれを手に入れたい、あんな風になりたいと頭の中で想像した完璧な状態になろうとする。これが夢をかなえるという本質であるとガネーシャは指摘します。ただ完璧な状態を望めば望むほど、苦しむことになると。他人は自分を映す鏡というけれど、他人に完璧さを求めるということは、とりわけ自分に対して完璧を求めて苦しむことになると。他人を受容することが自己の受容につながると。これができれば人生の苦しみは必ず減っていく、たしかにそうだなと思います。「どんな人も受け入れなければならない」と自分を縛るのは完璧な状態を目指しており、相手の欠点が許せないといってすべてを否定したり排除したりしようとすると、むしろ自分を苦しめることになる。調子を崩す前の自分に重なさる部分もあり、これも本質をついてるなと思います。
続けて、「他者の欠点を受け入れる」具体的な方法としてガネーシャは3つのことを教えてくれます。
「みる場所を変える」
「相手の背景を想像する」
「他人に完璧さを求めている自分に気づく」
「みる場所を変える」
人の欠点が気になってしまうのは、欠点に焦点を当てることで、あたかも欠点がその人すべてを表してしまうように感じてしまっているからであり、その欠点が支えている長所が必ずあるから、その長所にも目を向けてみることをガネーシャは勧めています。
「相手の背景を想像する」
真っ白なキャンバスの赤ちゃんに、両親や周りの人、環境、身に起きた出来事、その時代の空気、いろいろなものが描いていった。そうやって少しずつ作り上げられてきた人が目の前にいる。だから、もし嫌なことを言われたとしても、この世界に生み出されて悩んだり苦しんだりしながら生きてきた、一人の存在として尊重する気持ちを持つことが大切ではないかとガネーシャは諭してくれます。
「他人に完璧さを求めている自分に気づく」
人を嫌ったり、人の行動にイライラしたりするというのは、知らず知らずのうちに他人に完璧さを求めているということで、「ああ、今、自分は相手が完璧じゃないことにイライラしているな」と気づくことができれば、その感情と距離を置くことができる。完璧じゃない状態を許せることが本当の意味での「完璧」であると、ガネーシャは言います。
そして最後に、この本のテーマである人は死んだらどうなるのかということについてガネーシャはこう諭してくれます。
「つながりを意識する時間をもつ」
自分を作っている粒子は、かつては水であり、土であり、木であり、生き物だった。そしていつかは、水になり、土になり、木になり、生き物になっていく。では、なぜ今、自分は「人間」なんだとガネーシャは核心を突いてきます。なぜ、人間だけは全体とのつながりから切り離されて、苦しみに満ちた生を送っているのかと。
人間が存在する理由は、生の苦しみもその苦しみに支えられた喜びもすべてを「経験」するために生まれてきたのだとガネーシャはたたみかけます。
このままで読んで、私はこれまでの生き方やこの苦しみは何だったのか、理解できた気になれました。最後の結論になりますが、今この瞬間の「生」、「喜怒哀楽」を大切にするべきではないかと私は思いました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。とてもおすすめな本なので是非、ご自分で「経験」していただきたいです。