この「ゲシュタルトの祈り」はドイツ人精神科医のフレデリック・S・パールズ(1893-1970)がワークショップの際に好んで用いたとされています。
私が心を病んだ時に、この言葉に出会い、心が少し楽になりました。
この考え方はアドラー心理学にも通じるものがあり、自分は自分の人生を生きた上で、もし他者と幸せを分かち合う瞬間があるとすれば、それは生きていく糧にすることができるということでしょうか。
個人的には(日本語訳1)が一番しっくりくる感じがあります。
(原文:ドイツ語)
Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –
und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
ICH BIN ich und DU BIST du –
und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
wenn nicht, dann ist auch das gut so.
(Frederick Salomon Perls, 1893-1970)
(英語)
I do my thing, and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations, and you are not in this world to live up to mine.
You are you, and I am I, and if by the chance we find each other, it’s beautiful.
If not, it can’t be helped.
(日本語訳1)
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
(日本語訳2)
わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。私は私。
あなたはあなた。もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ。
(国分康孝訳)
われはわが事をなさん。汝は汝の事をなせ。
わが生くるは汝の期待に沿わんがために非ず。汝もまた我の期待に沿わんとて生くるに非ず。
汝は汝、われはわれなり。されど、われらの心、たまたま触れ合うことあらば、それにこしたことなし。もし心通わざればそれもせんかたなし」